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アマルフィ海岸に行こうパート1
1997年にユネスコ世界文化遺産に登録された、アマルフィ海岸線。
2010年に公開された織田裕二さん主演の映画「アマルフィ」がヒットしたことにより、日本からも多くの人が訪れ、アマルフィやポジターノなどの小さく可愛らしい町が観光の中心地として知られています。
海岸線は全長30キロほどで緩やかなカーブが続き、観光シーズンは4月初旬から10月末まで。このシーズンに合わせて(復活祭の時期により多少前後しますが)、観光地のホテル、レストランやお店がオープンします。それ以外の期間は冬季休業シーズンに入り、これら全体の90パーセントほどが閉まり、開いているのは地元の人が使うスーパーマーケットや、バール、ごく一部の飲食店のみとなります。なので冬場は閑散とします!私個人は冬場の静かな静かなアマルフィ海岸ドライブも好きです。町々の静かな息遣いが感じられますし、絶景を拝める展望台も独り占めできたりもします!
とはいっても日が長く気候も良い春から秋にかけてが、初めてのアマルフィ海岸線観光にはやはりおすすめです。2019年の観光シーズンは外国からの観光客だけで100万人近くが訪れたそうです。
ナポリからのアクセスは最後に記載してありますが、公共交通機関を使うにしても、レンタカーを使うにしても、運転手付プライベートカーを使うとしても、「車」がないと観光は難しくなります。夏場は船も出ていますが、本数も非常に少ないので陸路で行く人が多いのが実情です。
海岸線はカーブが多いので、車酔いがある人は酔い止め対策をしてきてくださいね!あと正直お手洗い事情は日本と比べると雲泥の差で、ドライブ中海岸線沿いで気軽にトイレに行けるところがほとんどありません。降車して(駐車して)、町中のバールやレストラン、または有料トイレを探すことになります。何かとても面倒くさく、かつ心配になるようなことを書いてしまいましたが(汗)、このことを念頭に置いて対策するだけでもアマルフィ海岸線の観光をぐんと楽しめるでしょう!
前置きが長くなりましたが、そんなアマルフィ海岸線のハイライトを何回か不定期に紹介していきたいと思います。まずは観光の中心アマルフィから!
アマルフィの名の由来と言われるものはいくつかありますが、古代ローマ時代の住民アマルフィア一族が由来という説と、4-5世紀頃蛮族から逃れてきたルカーニア(現在のバジリカータ州)の町メルフィからの難民たちが建てた町(メルフィ→アマルフィ)という説などがあります。
まずは車が行き来する Flavio Gioia広場からスタート。フラヴィオ・ジョイア(Flavio Gioia)氏は14世紀に欧州で初めて羅針盤を使って航海した人、ということですが真偽のほどは定かではないそうで、また近くのポジターノ出身とアマルフィ出身という二つの説があり、なかなかミステリアスなお方ですがアマルフィの歴史の偉人として認識されています。歴史で言うところの中世の時代、839年から1135年まで(その後ノルマン朝の統治を受ける)アマルフィ公国→共和国、貿易や紙産業で繁栄を極めた自立国であり町でした。またビザンチンとの交流も盛んだったそうです。
マリーナ門をくぐります。中世の時代はこの門まで海だったので、門の並びには当時の船倉庫(現在は店舗となっている)が並んでいます。
門をくぐるとすでに町の中心地ドゥオモ広場、この角度がベストショット。なんと壮大なドゥオモ(大聖堂)!歴史を感じるファザード(正面部)は19世紀に建築家エッリコ・アルヴィーノによりネオ・ムーア風に改修されたもの。62段の階段を上って入場です。ドゥオモは町の守護聖人アンドレアに捧げられ、初期の建築は987年ごろから始まったそうです。アンドレアとはイタリア語読みで、キリストの使途の一人であった漁師アンデレと同一人物です。この記事ではイタリア語読みで「アンドレア」と表記していきますね。
ドゥオモの銅製の扉は、地元有力者のパンタレオーネがコスタンチノープル(現在のイスタンブールで当時はキリスト教)の職人に作らせ運ばせたものです。分析によると扉は、銅62%、亜鉛17%、鉛19%などで構成されていますが、一般的には銅製で知られています。この扉にはキリスト、マリア、ピエトロ(=ペテロ、アンドレアの兄弟)とアンデレの4人が描かれていて、信者から絶えず触られていたアンデレの顔は酸化することなく綺麗に残ったそうです。ここ数年は触ることが禁止されていて、扉の前にはロープが張られています。
ドゥオモ(大聖堂)には13世紀に建てられた「天国の回廊」に入場券を購入したらドゥオモにも入場できる仕組みになってます。ただ毎日行われる市民のミサの時間はドゥオモのみ入ることも可能ですが、信者の方たちの神聖な時間なので来場はできるだけ避けてくださいね、という暗黙の了解があります。ちなみに春から秋には結婚式も毎週のように執り行われます。
回廊を出ると、宗教美術品を展示してある美術館ですが、ここは初期ドゥオモが987年に建つ前、833年以前にはすでに教会としてあった建物。現在は前面改修されて1994年より美術館です。その中でも1297年、当時アマルフィ(やナポリ)を統治していたアンジュー朝のシャルル2世の息子で、王位継承権を破棄しフランス・トゥルーズの司教をしていたルドヴィコに捧げられたミトラ(司教が典礼時にかぶる五角形の帽子)はハイライト。2万個の小さな真珠がちりばめられているのです!
ミケランジェロ・ブオナローティのモーゼ像を思わせる巨大なアンドレアの銅像は236センチもあります。こちらは1604年ミケランジェロ・ナッケリーノ作。
そして普段目にすることはできませんが、このクリプタにはアンドレアが埋葬された(磔刑となった)ギリシャのアカイア地方、その後埋葬されたコスタンチノープルなど、埋葬場所からあふれ出た液体(ラ・マンナ)がクリスタル製の壺に入って納められています。
大聖堂、正面にはアンドレア磔刑が描かれている絵画で1700年アンドレア・ダスタ作。アンドレアはX型に磔刑になっているのですね。なので聖人としてのアンドレアはX(聖アンデレ十字)を背中にしょっているのです。予断ですがスコットランドの国旗は聖アンデレ十字、国の聖人はアンドリュー(=アンドレア、英語読み)です。
現在のドゥオモ内部は18世紀に改修が終わったもの。基本はバロック様式ですが、初期はロマネスク様式だったそうです。ここで注目はエルサレムから運んでこられたといわれる十字架で、真珠層でできている美術品としても非常に珍しいものなのです
アンドレアの聖遺物(遺骸や遺品の一部)が保管されている半身像。アマルフィの人々にとって漁師の神でもあります。
カトリックのカレンダーでいう聖人アンデレの日は11月30日ですが、アマルフィではさらに6月27日もアンデレの祝日となっています。1544年6月27日に海賊バルバロッサの襲撃から町を救った聖アンデレの奇跡は、アマルフィの港に非常に強い嵐を起こし、バルバロッサの町への上陸を阻止したという逸話からこの日も祝日となっているのです。毎年6月27日にはアンデレの守護祭が行われており、アマルフィの人々が「o’ viecchio」(老人)と呼ぶ聖人像を修道会の男性達が行進します。海岸に着くと、漁師たちは聖人の像を持って大聖堂まで走って戻ります。一方11月30日には前述のマンナをクリプタから取り出し、液体になっているのを確かめて信者に公開します。
アマルフィ案内後編へ続く。。。
アクセス:ナポリからアマルフィ市まで車で高速A3サレルノ方面経由、または高速A3Castellammare di Stabiaで降り、ソレント半島経由で約1時間45分、観光シーズン中は2時間以上かかることも多い。
ナポリ中央駅地下のCircumvesuviana線ソレント行きで終点ソレントまで。駅前のSITAバス停留所からアマルフィ行きの公共バスに乗り約1時間40分。途中ポジターノにも停車。
夏季はベヴェレッロ港(Beverello)から直行のフェリーもあり。
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